院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ

  

父に届いた年賀状

 

父に年賀状が届いた。仏壇に葉書を置き、線香をつけて手を合わせる。本人に読まれことのない葉書が8枚になった。本来ならば、事情を知らせ、その心遣いに感謝の意を伝えるべきなのだろう。だが私はそれをしていない。礼を失している後ろめたさは、年々薄れてゆく。差出人のなかで生きている父に、もう少し生きていて欲しいのかも知れない。彼の為ではなく、私の為に。歳月は矢のように過ぎて行くと言う。だが光陰の速度は相対的なものだ。仏間に端坐すると、急に緩やかになる。その緩急は物理の法則に従わない、科学的に不合理な現象の中にこそ、真実は息づいているのだ。

「あーあ、私には1枚も来ていない。」年賀状を仕分けていた娘が口を尖らせながら言う。何でもメールやLINEで済ませる世代は、年始の挨拶もデジタル化されて、端末に送信されてくる。だからアナログの年賀状が来ないのも頷ける。「人徳が無いんだよ。」嫌味を言いながら腰を下ろした息子にも、年賀状は届いていない。並んで座った子供たちを見て、棚の上の写真立てに目を向ける。幼い二人がソファーでポーズをとっているセピア色の写真。年月で色褪せたのではなく、デジタル処理での写真ではあるが、それなりにいい味を出している。自宅を新築した時だから、十四、五年前のものだろう。屈託のない笑顔が心和ませる。振り返ると面影はそのままで、大人びた子供達。息子は大学で学業成就に四苦八苦。娘はこの春から大学生だ。写真を見つめながらつらつらと思いにふける。変わりゆくものと変わらないもの。失われてゆくものと、失われずに残っていくもの。そのあやうい均衡を楽しみながら、わが人生の頂を目指して稜線を一歩一歩踏みしめていく。父に届いた年賀状が教えてくれる。稜線は分水嶺ではない。天から降りそそいだ雨水は頂を潤した後、結局は一所に集まって、次の世代に引き継がれていくのだと。




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